こんにちは、梅です
先日の歴史の会@武田信玄の負の遺産、武田勝頼のご報告です。
120万石の栄光を極めた信玄の手足となって戦場では活躍をしてた勝頼ですが、
信玄の死後、そもそも後継者としての教育を受けていた兄が死んだことで
(諸事情はあれど)
家臣達との信頼関係が上手く築けず、激動の時代とあいまって
一代でガラガラと450年の歴史に幕を下ろしていくことになります。
そんな一生をたどってみたのですが…。
戦国の移り行く時代に生まれた勝頼、
なんとも残念な一生でした。
まずはマキ山名言集から!

↑スピード感あふれますね!
<マキ山名言集>
・信玄が勢力を伸ばしているとき、義信(長男)は絶賛跡取り中だった!
家臣たちもそこに向かって嫡子としての(後取り)教育をしていたので
義信の死後、家臣達のハートが勝頼についていけなかった。
〜壁・溝を作っていく。お互いを信用できない。
どんな能力があるか?分からない。
・武田家:文句があるなら出て行け!殺すぞ!という家系。
武田信玄も、パパを追放している。
親子関係って…環境って大事ですよね。
・信玄 VS 息子の義信「俺のハニーの家を攻めるなんて!」
(今川方の奥さんをもらったので、情が移っている)
〜家臣たちも、「親方様の言うことなら」 VS 今川寄りの家臣たちとで対立が。
・450年続いてきたが、武田家は絶対君主ではなかった。
武田家の領土はいろいろな人がMixしている、それぞれが小さな国の領主。
忠義ではなく、時の運で負けてついてきただけ。
「みんなの言うことを聞いている」という幻想を抱かせられるかどうか?!
信玄は合議制と見せかけてTOPダウンするのが上手だった。
→まとめらるかどうか!
が、あんまり多くなると…?!みんなが満足できるようにはまとめられない。
・義信事件
義信を初めとする今川びいき家臣団が切腹。
義信は離婚をさせられて、幽閉。→廃嫡。〜自殺させられた。
義信に期待をしていた人たちも切腹…惜しむ声が。
〜この直後に、武田家の勢力は最大:120万石を越える。
・勝頼:教育を受けてきていない。後取りになるような身分でもない。
戦場では大活躍している。
・織田信長:延暦寺焼き討ち。恐ろしいからこそスーパースター!
なぜ?→比叡山はもはや、独立国だった。
“坊主ネットワーク”があり、神の力を行使して政治を行っていた。
信長は権力を行使するのを止めたかった。見せしめとして行った。
・武田信玄が京都を目指したとき、天下を取る気かは分からないが
3万という数は本気の数字だった。
・朝倉〜自分の身だけ守れれば…。それが後々、身を滅ぼす。
・甲陽軍艦〜ネタを元に、さらに華やかにした!!
・信玄の死〜漬物石が取り除かれた。
信長〜どくろの杯、願える人も続々。
勝頼〜積極的に侵攻。
・奥平親子 家康・織田連合軍〜すねえもんの体を張った踏ん張りで、乗り越える。
・設楽原の布陣…丘が連なっている。
馬は音に弱い。武田の騎馬軍団は銃にやられたのではなく、
火縄銃の音に馬が驚いて、統制が取れなくなり、圧死したことが原因。
一旦隊列が崩れると…。
1503年イタリア〜スイスの戦いでも、似た作戦が取られている。
〜信長は宣教師のスペイン人に戦術を聞き、ヒントを応用した?
目から鼻に抜けるアイディアが、宣教師をも恐れさせた。
↑この布陣を見たとき、武田無敵騎馬隊から「やばい!」という声が上がった。
「こんな布陣見たことがない。だから止めた方がいい!」と
百戦錬磨の争勝:馬場・土屋・山県が言った。
が、勝頼は…「ここまで来て、後には引けない!」
・信長は長篠の陥落と、設楽原が同時刻に起こるようにデザイン。心理戦を狙っていた。
聞いた情報は最大限、使う。
地球儀を見て「理にかなっている」と言ったとか。
〜その後の信長は、「甲斐を攻めに行っちゃおうぜ!作戦」に出る。
(信長:武田家滅亡へのステップ1.)
・勝頼が長篠の合戦で学んだこと:「銃は大事。野戦ではもう、勝てない。」
「新しいことを…。お金を稼がなきゃ!」
〜この頃、信玄のときに資源になっていた金山はすでに減ってきていた。
戦いに負けても、直せない。
商業活動〜古い体質ではダメ!と感じ、
甲斐にお金が流れ込んでくるように都とのネットワークに精を出した。
がんばっていた。が…、勝頼は時代に愛されていない!
・上杉謙信が、朝起きたら突然死んでいた!
〜跡取り合戦で、景勝より
「お金ないんでしょ?お金と、あと土地もつけちゃう!」
〜といわれて、「だってお金ないんだもん!」と味方につく。
後に北条からは「金に狂ったから武田は没落した!」と言われるが、
じつはこれでかなり助かっている。
・(信長、武田家滅亡へのステップ2.)
「高神天城への戦いに兵を出さなくていい」、と吹き込まれる。
→とことん人望をなくさせてやろう作戦。
〜それによって、「あれが見殺しにされるなら、俺達だって…。」と
武田家についていた武将達の間で不信感が膨らみ、心の準備ができてしまった。
<武田家の滅亡のシナリオは信長が書いている。>
信長:「いまのうちに、うちに来ない?」→心移り。
・家臣たちからすると「勝頼、俺達と同じだったはずなのに…」と不満も。
・勝頼には、昔から言うことをきいてくれる家臣がいなかった。
聞いてくれる人は、かえってバカにされる管領系の人たちだった。
秀吉の石田光成みたいなもの。
・勝頼:「武田家の存続のために、新しい城を築くしかない!」
家臣:「またあんた、自分のことだけかよ!」→すれちがい。
信玄の築いてきたシステムを、勝頼はさばききれていなかった。
かえって、「一方的に威張りやがって!」 と反感を買う。
〜内部でも「武田のためとか言うやつは、追放だ!」という動きや、
戦わずして逃げる人も。混乱し、信じられなくなり、逃亡する人が続出した。
・最後に勝頼が頼りにした、近くにいた小山田:
「じゃあ、勝頼売っちゃおうかな?」
→450年あまり続いた武田家、全て終わり。
・勝頼は、諏訪御寮人の腹に生まれたことからして、運が悪い。
彼なりに、いろいろと変えようとしていたが、タイミングが悪かった。
・信長と宣教師の役割
〜信長はヨーロッパの有用な情報を取りたかった。
はっきりいって、キリストには興味ないが、布教活動を許可する代わりに情報。
どうやって使えば有用なのか?
人の利用・情報の収集&利用〜時代に愛されていた!
・時代を壊す人・創る人・保つ人は別。
〜フランス革命でも、壊す役割の人はギロチンなど…。
そういう覚悟でなくちゃ、できない。
↓マキ山さんによる設楽原合戦ムービーをどうぞ!
<参加者の感想>
・初参加でしたが、圧倒。あ”〜〜!!すごいおもしろい!
豆知識が嬉しかった。
・信長だったので、人をたくさん殺しちゃった。
謎だった比叡山の関係について知ることができてよかった。
歴史を好きになったのは予備校の先生の影響だが、
歴史の魅力は「人の感情が動かしている」ということ。
また参加したい。
・勝頼だったが、歴史を動かす人の役割(〜壊す者)の話が印象的だった。
では、勝頼の役割は?
〜勝頼:運が悪い。運にさらされて、翻弄された。
ただ、武田家を保ちたかった。父親のシステムを守りたかっただけでは?
ずっと父親の手足になって働いてきて、うっかり武田を背負ってしまった。
・武田がすごい勢いから急降下したのがリアルだった。
意外とこの時代は徳川家康は地味だった。
・猛然と走る特急列車に、横につかまったまま4時間走りぬけた感じ。
かろうじて到着したが、エキサイティングだった!
感情が歴史を動かす。歴史は繰り返す。
「ここでちょっと…!」が人はできない。
・なぜ?義信がダメになった瞬間、ダメに。
信玄、後継者のことまで考えているはず…だよね?
戦国〜100年先は分からない。今日生きることが全て。信玄でさえも、今日を生きていたのでは。
あるいは、450年続いた家だけに、
まさかこうもたやすく幕を下ろすことになるとは考えていなかった。
危機感がなかった。楽観的だった?危機感がなくなったときに、人滅びる。
・一番の課題は後継者だった。
武田家は親子関係が良くない。信玄でさえも、裏切りを恐れて…例外ではなかった。
〜徳川家康の一番の資質は、命が長いこと。
さまざまな人の生き様を見て、自分の跡取りを確立した。
長生きすること、地を続けることが大切です!
・息子も猜疑心があっただろうなぁ。
あえて、ちゃんとした後継者作りをしなかったのかも。
いつまでも自分が大御所で居たかった。=信用していない。
娘をあげる=信用していない。婚姻によって結び付けようとしていた。
・設楽原の戦い:圧死で死んでいる。城攻めと一緒。
初めて見る布陣図に対しての、武田騎馬軍団の忠告
〜ベテランの勘は信じろ!見たことがないのは不吉じゃ!
戦略は組織に従え=武田信玄
戦略に組織をあわせる=織田信長
信長〜崩すとき:最強のデザインを持ってくる。
目的:規定のものがあって、崩したいから。そのときだけ組織を作る。
・滅亡寸前に天田山…以前武田家が一度途絶えたときに、
ここから再生したという言い伝えからゲン担ぎ?。
・信玄は、個の能力はすごかった。内部から崩して行くやり方…完全に一人の能力によるもの。
システムじゃなく、一人に頼りきっていた。信玄自体がシステム。出来すぎるのも、問題。
・「壊す人・作る人は別。」平安をこわしたのは清盛、作ったのは頼朝。続けていたのは北条。
同じようなことを繰り返している。
・信長すごいなぁ…。「火星から来てる?!」
〜49年の人生だが、その3倍くらいの資料がある。そうじゃないと語れない。濃すぎる!
信玄が攻めていたときにはシステムのほつれは多少防げていたが、勝頼が守りに入ったら…。
〜新しい情報・知識を取り入れることが大事。
・初参加で、ついていくのが必死だった。この時代、人間関係が今よりも大変かも…?!
会社の人間関係も好き嫌い・上につく人で変わる。その辺は似ている。
・役割をきちんと把握して、役割どおりに生きることって大事なんだな、と思った。
・武田信玄は好きじゃなかったが、450年も続いていたとは驚きだった!
いまだに奥平さんと松平さんはゆかりが深い。この辺の時代からの流れ?!
同時代のヨーロッパを選択科目で学んでいたが、中央集権的だった。
日本にはないと思っていたが、こんなところに関係性が見られるとは…!
〜王様がよくやっていると、周りの人は「俺達がやってるんだ」と満足できる。
14世紀も“絶対”王政とは言えない。
長篠の戦とヨーロッパの戦いのつながりに驚いた。
・散弾鉛がウソというのはショック!!
石田光成が好きなので、関が原の戦いと重なった。勝頼に興味が湧いた。


11月は歴史の会ツアー♪@鎌倉滅亡〜室町吉野・金閣寺・銀閣寺・南禅寺ということで
次回歴史の会は、12月19日(土)@上杉謙信。
希望者はこちらに参加表明をお願いします!

先日の歴史の会@武田信玄の負の遺産、武田勝頼のご報告です。
120万石の栄光を極めた信玄の手足となって戦場では活躍をしてた勝頼ですが、
信玄の死後、そもそも後継者としての教育を受けていた兄が死んだことで
(諸事情はあれど)
家臣達との信頼関係が上手く築けず、激動の時代とあいまって
一代でガラガラと450年の歴史に幕を下ろしていくことになります。
そんな一生をたどってみたのですが…。
戦国の移り行く時代に生まれた勝頼、
なんとも残念な一生でした。
まずはマキ山名言集から!

↑スピード感あふれますね!
<マキ山名言集>
・信玄が勢力を伸ばしているとき、義信(長男)は絶賛跡取り中だった!
家臣たちもそこに向かって嫡子としての(後取り)教育をしていたので
義信の死後、家臣達のハートが勝頼についていけなかった。
〜壁・溝を作っていく。お互いを信用できない。
どんな能力があるか?分からない。
・武田家:文句があるなら出て行け!殺すぞ!という家系。
武田信玄も、パパを追放している。
親子関係って…環境って大事ですよね。
・信玄 VS 息子の義信「俺のハニーの家を攻めるなんて!」
(今川方の奥さんをもらったので、情が移っている)
〜家臣たちも、「親方様の言うことなら」 VS 今川寄りの家臣たちとで対立が。
・450年続いてきたが、武田家は絶対君主ではなかった。
武田家の領土はいろいろな人がMixしている、それぞれが小さな国の領主。
忠義ではなく、時の運で負けてついてきただけ。
「みんなの言うことを聞いている」という幻想を抱かせられるかどうか?!
信玄は合議制と見せかけてTOPダウンするのが上手だった。
→まとめらるかどうか!
が、あんまり多くなると…?!みんなが満足できるようにはまとめられない。
・義信事件
義信を初めとする今川びいき家臣団が切腹。
義信は離婚をさせられて、幽閉。→廃嫡。〜自殺させられた。
義信に期待をしていた人たちも切腹…惜しむ声が。
〜この直後に、武田家の勢力は最大:120万石を越える。
・勝頼:教育を受けてきていない。後取りになるような身分でもない。
戦場では大活躍している。
・織田信長:延暦寺焼き討ち。恐ろしいからこそスーパースター!
なぜ?→比叡山はもはや、独立国だった。
“坊主ネットワーク”があり、神の力を行使して政治を行っていた。
信長は権力を行使するのを止めたかった。見せしめとして行った。
・武田信玄が京都を目指したとき、天下を取る気かは分からないが
3万という数は本気の数字だった。
・朝倉〜自分の身だけ守れれば…。それが後々、身を滅ぼす。
・甲陽軍艦〜ネタを元に、さらに華やかにした!!
・信玄の死〜漬物石が取り除かれた。
信長〜どくろの杯、願える人も続々。
勝頼〜積極的に侵攻。
・奥平親子 家康・織田連合軍〜すねえもんの体を張った踏ん張りで、乗り越える。
・設楽原の布陣…丘が連なっている。
馬は音に弱い。武田の騎馬軍団は銃にやられたのではなく、
火縄銃の音に馬が驚いて、統制が取れなくなり、圧死したことが原因。
一旦隊列が崩れると…。
1503年イタリア〜スイスの戦いでも、似た作戦が取られている。
〜信長は宣教師のスペイン人に戦術を聞き、ヒントを応用した?
目から鼻に抜けるアイディアが、宣教師をも恐れさせた。
↑この布陣を見たとき、武田無敵騎馬隊から「やばい!」という声が上がった。
「こんな布陣見たことがない。だから止めた方がいい!」と
百戦錬磨の争勝:馬場・土屋・山県が言った。
が、勝頼は…「ここまで来て、後には引けない!」
・信長は長篠の陥落と、設楽原が同時刻に起こるようにデザイン。心理戦を狙っていた。
聞いた情報は最大限、使う。
地球儀を見て「理にかなっている」と言ったとか。
〜その後の信長は、「甲斐を攻めに行っちゃおうぜ!作戦」に出る。
(信長:武田家滅亡へのステップ1.)
・勝頼が長篠の合戦で学んだこと:「銃は大事。野戦ではもう、勝てない。」
「新しいことを…。お金を稼がなきゃ!」
〜この頃、信玄のときに資源になっていた金山はすでに減ってきていた。
戦いに負けても、直せない。
商業活動〜古い体質ではダメ!と感じ、
甲斐にお金が流れ込んでくるように都とのネットワークに精を出した。
がんばっていた。が…、勝頼は時代に愛されていない!
・上杉謙信が、朝起きたら突然死んでいた!
〜跡取り合戦で、景勝より
「お金ないんでしょ?お金と、あと土地もつけちゃう!」
〜といわれて、「だってお金ないんだもん!」と味方につく。
後に北条からは「金に狂ったから武田は没落した!」と言われるが、
じつはこれでかなり助かっている。
・(信長、武田家滅亡へのステップ2.)
「高神天城への戦いに兵を出さなくていい」、と吹き込まれる。
→とことん人望をなくさせてやろう作戦。
〜それによって、「あれが見殺しにされるなら、俺達だって…。」と
武田家についていた武将達の間で不信感が膨らみ、心の準備ができてしまった。
<武田家の滅亡のシナリオは信長が書いている。>
信長:「いまのうちに、うちに来ない?」→心移り。
・家臣たちからすると「勝頼、俺達と同じだったはずなのに…」と不満も。
・勝頼には、昔から言うことをきいてくれる家臣がいなかった。
聞いてくれる人は、かえってバカにされる管領系の人たちだった。
秀吉の石田光成みたいなもの。
・勝頼:「武田家の存続のために、新しい城を築くしかない!」
家臣:「またあんた、自分のことだけかよ!」→すれちがい。
信玄の築いてきたシステムを、勝頼はさばききれていなかった。
かえって、「一方的に威張りやがって!」 と反感を買う。
〜内部でも「武田のためとか言うやつは、追放だ!」という動きや、
戦わずして逃げる人も。混乱し、信じられなくなり、逃亡する人が続出した。
・最後に勝頼が頼りにした、近くにいた小山田:
「じゃあ、勝頼売っちゃおうかな?」
→450年あまり続いた武田家、全て終わり。
・勝頼は、諏訪御寮人の腹に生まれたことからして、運が悪い。
彼なりに、いろいろと変えようとしていたが、タイミングが悪かった。
・信長と宣教師の役割
〜信長はヨーロッパの有用な情報を取りたかった。
はっきりいって、キリストには興味ないが、布教活動を許可する代わりに情報。
どうやって使えば有用なのか?
人の利用・情報の収集&利用〜時代に愛されていた!
・時代を壊す人・創る人・保つ人は別。
〜フランス革命でも、壊す役割の人はギロチンなど…。
そういう覚悟でなくちゃ、できない。
↓マキ山さんによる設楽原合戦ムービーをどうぞ!
<参加者の感想>
・初参加でしたが、圧倒。あ”〜〜!!すごいおもしろい!
豆知識が嬉しかった。
・信長だったので、人をたくさん殺しちゃった。
謎だった比叡山の関係について知ることができてよかった。
歴史を好きになったのは予備校の先生の影響だが、
歴史の魅力は「人の感情が動かしている」ということ。
また参加したい。
・勝頼だったが、歴史を動かす人の役割(〜壊す者)の話が印象的だった。
では、勝頼の役割は?
〜勝頼:運が悪い。運にさらされて、翻弄された。
ただ、武田家を保ちたかった。父親のシステムを守りたかっただけでは?
ずっと父親の手足になって働いてきて、うっかり武田を背負ってしまった。
・武田がすごい勢いから急降下したのがリアルだった。
意外とこの時代は徳川家康は地味だった。
・猛然と走る特急列車に、横につかまったまま4時間走りぬけた感じ。
かろうじて到着したが、エキサイティングだった!
感情が歴史を動かす。歴史は繰り返す。
「ここでちょっと…!」が人はできない。
・なぜ?義信がダメになった瞬間、ダメに。
信玄、後継者のことまで考えているはず…だよね?
戦国〜100年先は分からない。今日生きることが全て。信玄でさえも、今日を生きていたのでは。
あるいは、450年続いた家だけに、
まさかこうもたやすく幕を下ろすことになるとは考えていなかった。
危機感がなかった。楽観的だった?危機感がなくなったときに、人滅びる。
・一番の課題は後継者だった。
武田家は親子関係が良くない。信玄でさえも、裏切りを恐れて…例外ではなかった。
〜徳川家康の一番の資質は、命が長いこと。
さまざまな人の生き様を見て、自分の跡取りを確立した。
長生きすること、地を続けることが大切です!
・息子も猜疑心があっただろうなぁ。
あえて、ちゃんとした後継者作りをしなかったのかも。
いつまでも自分が大御所で居たかった。=信用していない。
娘をあげる=信用していない。婚姻によって結び付けようとしていた。
・設楽原の戦い:圧死で死んでいる。城攻めと一緒。
初めて見る布陣図に対しての、武田騎馬軍団の忠告
〜ベテランの勘は信じろ!見たことがないのは不吉じゃ!
戦略は組織に従え=武田信玄
戦略に組織をあわせる=織田信長
信長〜崩すとき:最強のデザインを持ってくる。
目的:規定のものがあって、崩したいから。そのときだけ組織を作る。
・滅亡寸前に天田山…以前武田家が一度途絶えたときに、
ここから再生したという言い伝えからゲン担ぎ?。
・信玄は、個の能力はすごかった。内部から崩して行くやり方…完全に一人の能力によるもの。
システムじゃなく、一人に頼りきっていた。信玄自体がシステム。出来すぎるのも、問題。
・「壊す人・作る人は別。」平安をこわしたのは清盛、作ったのは頼朝。続けていたのは北条。
同じようなことを繰り返している。
・信長すごいなぁ…。「火星から来てる?!」
〜49年の人生だが、その3倍くらいの資料がある。そうじゃないと語れない。濃すぎる!
信玄が攻めていたときにはシステムのほつれは多少防げていたが、勝頼が守りに入ったら…。
〜新しい情報・知識を取り入れることが大事。
・初参加で、ついていくのが必死だった。この時代、人間関係が今よりも大変かも…?!
会社の人間関係も好き嫌い・上につく人で変わる。その辺は似ている。
・役割をきちんと把握して、役割どおりに生きることって大事なんだな、と思った。
・武田信玄は好きじゃなかったが、450年も続いていたとは驚きだった!
いまだに奥平さんと松平さんはゆかりが深い。この辺の時代からの流れ?!
同時代のヨーロッパを選択科目で学んでいたが、中央集権的だった。
日本にはないと思っていたが、こんなところに関係性が見られるとは…!
〜王様がよくやっていると、周りの人は「俺達がやってるんだ」と満足できる。
14世紀も“絶対”王政とは言えない。
長篠の戦とヨーロッパの戦いのつながりに驚いた。
・散弾鉛がウソというのはショック!!
石田光成が好きなので、関が原の戦いと重なった。勝頼に興味が湧いた。


11月は歴史の会ツアー♪@鎌倉滅亡〜室町吉野・金閣寺・銀閣寺・南禅寺ということで
次回歴史の会は、12月19日(土)@上杉謙信。
希望者はこちらに参加表明をお願いします!
みなさま、こんにちは〜!
梅でございます。
武田信玄→武田勝頼と進んできました歴史の会。
いよいよ次回は上杉謙信ですよ〜。
小田原城の前で矢の飛び交う中、酒盛りをしていたとか。
本当は女だった?!説があるとか。
毘沙門天がついていたとか。
いろいろ〜なうわさがありますが、
果たしてこの人、いったいどんな人だったのでしょう?
11月は歴史の会ツアーということで会自体はお休みし、
上杉謙信は12月19日に。
また、濃厚超特急なマキ山節でお会いしましょう!
■ 日にち : 2009年12月19日(土)
■ 時 間 : 13:00〜17:00
■ 場 所 : カフェミヤマ渋谷公園通り店
■ 料 金 : 2,000円
どんな豆知識が聞けるのか、いまから楽しみですね♪
梅でございます。
武田信玄→武田勝頼と進んできました歴史の会。
いよいよ次回は上杉謙信ですよ〜。
小田原城の前で矢の飛び交う中、酒盛りをしていたとか。
本当は女だった?!説があるとか。
毘沙門天がついていたとか。
いろいろ〜なうわさがありますが、
果たしてこの人、いったいどんな人だったのでしょう?
11月は歴史の会ツアーということで会自体はお休みし、
上杉謙信は12月19日に。
また、濃厚超特急なマキ山節でお会いしましょう!
■ 日にち : 2009年12月19日(土)
■ 時 間 : 13:00〜17:00
■ 場 所 : カフェミヤマ渋谷公園通り店
■ 料 金 : 2,000円
どんな豆知識が聞けるのか、いまから楽しみですね♪
今年もやってきました!
歴史の会の学びを、元気で体感する
歴史の会ツアー!!

今年は「吉野・京都をじっくり探索しよう!」
・・・ということで。
せっかくなので、秋の紅葉を楽しみながら
歴史にタイムスリップしちゃおうJAあーりませんか
・・・そんな、ラブい歴史会「大人の修学旅行ツアー。」
宿泊先はなんと……!
利休の造ったお庭のある、こちら!!
http://www.chikurin.co.jp/宿泊代: 13500円(宿坊タイプ・二食付き)
今現在のメンバーは、
5名(マキ山・マキ山友・梅・プチ留さん・Dさん)
〜というバラエティ豊かな5名。
あと、女性一人と男性二人までなら参加可能です!
(キャンセルは1週間前まで★)
夜には、日中から散策し、宿泊する
この吉野の山の歴史について(壬申の乱、南北朝)
マキ山さんからDeepな講義がありますよん!
しかも…、このお宿、素敵な温泉付
歴史講義でヒートアップ
した頭を
しっとり
と秋の夜に溶かしてくれる効果があるかもしれません。
11月21日(土)
・9:30 京都駅集合
奈良・吉野へ(自己紹介タイム、駅弁を食べる)
12:00 吉野古道散策
17:00 宿へ
吉野・南北朝に関する歴史会<レクチャー>
11月22日(日)
・6:00 早朝散策(朝のお務めがあれば、参加。)
・9:30 吉野発、京都へ
・13:00 金閣寺 散策&ミニレクチャー
銀閣寺 散策
南禅寺 散策
・18:30 京都駅にて、各自解散。
〜という日程になっております。
ちなみに前回の歴史会ツアーの様子はこちらです!
http://rekishilove.blog100.fc2.com/blog-date-200810.html
ご希望の方は下に参加希望のコメント&アドレスを入力しくださいね〜。
たのしみたのしみ!
歴史の会の学びを、元気で体感する
歴史の会ツアー!!

今年は「吉野・京都をじっくり探索しよう!」
・・・ということで。
せっかくなので、秋の紅葉を楽しみながら
歴史にタイムスリップしちゃおうJAあーりませんか

・・・そんな、ラブい歴史会「大人の修学旅行ツアー。」
宿泊先はなんと……!
利休の造ったお庭のある、こちら!!
http://www.chikurin.co.jp/宿泊代: 13500円(宿坊タイプ・二食付き)
今現在のメンバーは、
5名(マキ山・マキ山友・梅・プチ留さん・Dさん)
〜というバラエティ豊かな5名。
あと、女性一人と男性二人までなら参加可能です!
(キャンセルは1週間前まで★)
夜には、日中から散策し、宿泊する
この吉野の山の歴史について(壬申の乱、南北朝)
マキ山さんからDeepな講義がありますよん!
しかも…、このお宿、素敵な温泉付

歴史講義でヒートアップ
した頭をしっとり
と秋の夜に溶かしてくれる効果があるかもしれません。11月21日(土)
・9:30 京都駅集合
奈良・吉野へ(自己紹介タイム、駅弁を食べる)
12:00 吉野古道散策
17:00 宿へ
吉野・南北朝に関する歴史会<レクチャー>
11月22日(日)
・6:00 早朝散策(朝のお務めがあれば、参加。)
・9:30 吉野発、京都へ
・13:00 金閣寺 散策&ミニレクチャー
銀閣寺 散策
南禅寺 散策
・18:30 京都駅にて、各自解散。
〜という日程になっております。
ちなみに前回の歴史会ツアーの様子はこちらです!
http://rekishilove.blog100.fc2.com/blog-date-200810.html
ご希望の方は下に参加希望のコメント&アドレスを入力しくださいね〜。
たのしみたのしみ!
