ワイドショーチックに貴方に迫る、歴史勉強会の情報を記載。
  • 10«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »12
Ads by Google
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
武田家の滅亡〜信玄の負の遺産、勝頼の人生
こんにちは、梅です

先日の歴史の会@武田信玄の負の遺産、武田勝頼のご報告です。



120万石の栄光を極めた信玄の手足となって戦場では活躍をしてた勝頼ですが、

信玄の死後、そもそも後継者としての教育を受けていた兄が死んだことで

(諸事情はあれど)

家臣達との信頼関係が上手く築けず、激動の時代とあいまって

一代でガラガラと450年の歴史に幕を下ろしていくことになります。


そんな一生をたどってみたのですが…。

戦国の移り行く時代に生まれた勝頼、

なんとも残念な一生でした。


まずはマキ山名言集から!

10月歴史会 032
↑スピード感あふれますね!

<マキ山名言集>

・信玄が勢力を伸ばしているとき、義信(長男)は絶賛跡取り中だった!

 家臣たちもそこに向かって嫡子としての(後取り)教育をしていたので

 義信の死後、家臣達のハートが勝頼についていけなかった。

 〜壁・溝を作っていく。お互いを信用できない。

 どんな能力があるか?分からない。


・武田家:文句があるなら出て行け!殺すぞ!という家系。

 武田信玄も、パパを追放している。

 親子関係って…環境って大事ですよね。


・信玄 VS 息子の義信「俺のハニーの家を攻めるなんて!」

       (今川方の奥さんをもらったので、情が移っている)

〜家臣たちも、「親方様の言うことなら」 VS 今川寄りの家臣たちとで対立が。


・450年続いてきたが、武田家は絶対君主ではなかった。

 武田家の領土はいろいろな人がMixしている、それぞれが小さな国の領主。

 忠義ではなく、時の運で負けてついてきただけ。

 「みんなの言うことを聞いている」という幻想を抱かせられるかどうか?!

 信玄は合議制と見せかけてTOPダウンするのが上手だった。 

 →まとめらるかどうか!

 が、あんまり多くなると…?!みんなが満足できるようにはまとめられない。


・義信事件

 義信を初めとする今川びいき家臣団が切腹。

 義信は離婚をさせられて、幽閉。→廃嫡。〜自殺させられた。

 義信に期待をしていた人たちも切腹…惜しむ声が。

〜この直後に、武田家の勢力は最大:120万石を越える。

・勝頼:教育を受けてきていない。後取りになるような身分でもない。
 
 戦場では大活躍している。

・織田信長:延暦寺焼き討ち。恐ろしいからこそスーパースター!

 なぜ?→比叡山はもはや、独立国だった。

 “坊主ネットワーク”があり、神の力を行使して政治を行っていた。

 信長は権力を行使するのを止めたかった。見せしめとして行った。

・武田信玄が京都を目指したとき、天下を取る気かは分からないが
 
 3万という数は本気の数字だった。


・朝倉〜自分の身だけ守れれば…。それが後々、身を滅ぼす。

・甲陽軍艦〜ネタを元に、さらに華やかにした!!

・信玄の死〜漬物石が取り除かれた。

 信長〜どくろの杯、願える人も続々。

 勝頼〜積極的に侵攻。

・奥平親子 家康・織田連合軍〜すねえもんの体を張った踏ん張りで、乗り越える。

・設楽原の布陣…丘が連なっている。

 馬は音に弱い。武田の騎馬軍団は銃にやられたのではなく、

 火縄銃の音に馬が驚いて、統制が取れなくなり、圧死したことが原因。

 一旦隊列が崩れると…。


 1503年イタリア〜スイスの戦いでも、似た作戦が取られている。

 〜信長は宣教師のスペイン人に戦術を聞き、ヒントを応用した?

 目から鼻に抜けるアイディアが、宣教師をも恐れさせた。


 ↑この布陣を見たとき、武田無敵騎馬隊から「やばい!」という声が上がった。

 「こんな布陣見たことがない。だから止めた方がいい!」と

 百戦錬磨の争勝:馬場・土屋・山県が言った。

 が、勝頼は…「ここまで来て、後には引けない!」
 
 
・信長は長篠の陥落と、設楽原が同時刻に起こるようにデザイン。心理戦を狙っていた。

 聞いた情報は最大限、使う。

 地球儀を見て「理にかなっている」と言ったとか。

 〜その後の信長は、「甲斐を攻めに行っちゃおうぜ!作戦」に出る。

 (信長:武田家滅亡へのステップ1.)

・勝頼が長篠の合戦で学んだこと:「銃は大事。野戦ではもう、勝てない。」

 「新しいことを…。お金を稼がなきゃ!」

 〜この頃、信玄のときに資源になっていた金山はすでに減ってきていた。

 戦いに負けても、直せない。

 商業活動〜古い体質ではダメ!と感じ、

 甲斐にお金が流れ込んでくるように都とのネットワークに精を出した。

 がんばっていた。が…、勝頼は時代に愛されていない!

・上杉謙信が、朝起きたら突然死んでいた!

 〜跡取り合戦で、景勝より

  「お金ないんでしょ?お金と、あと土地もつけちゃう!」

 〜といわれて、「だってお金ないんだもん!」と味方につく。

 後に北条からは「金に狂ったから武田は没落した!」と言われるが、

 じつはこれでかなり助かっている。

・(信長、武田家滅亡へのステップ2.)

 「高神天城への戦いに兵を出さなくていい」、と吹き込まれる。

 →とことん人望をなくさせてやろう作戦。

 〜それによって、「あれが見殺しにされるなら、俺達だって…。」と

 武田家についていた武将達の間で不信感が膨らみ、心の準備ができてしまった。

 <武田家の滅亡のシナリオは信長が書いている。>

 信長:「いまのうちに、うちに来ない?」→心移り。

・家臣たちからすると「勝頼、俺達と同じだったはずなのに…」と不満も。

・勝頼には、昔から言うことをきいてくれる家臣がいなかった。

 聞いてくれる人は、かえってバカにされる管領系の人たちだった。

 秀吉の石田光成みたいなもの。 

・勝頼:「武田家の存続のために、新しい城を築くしかない!」

 家臣:「またあんた、自分のことだけかよ!」→すれちがい。

 信玄の築いてきたシステムを、勝頼はさばききれていなかった。

 かえって、「一方的に威張りやがって!」 と反感を買う。

 〜内部でも「武田のためとか言うやつは、追放だ!」という動きや、

 戦わずして逃げる人も。混乱し、信じられなくなり、逃亡する人が続出した。

・最後に勝頼が頼りにした、近くにいた小山田:

 「じゃあ、勝頼売っちゃおうかな?」 

 →450年あまり続いた武田家、全て終わり。

・勝頼は、諏訪御寮人の腹に生まれたことからして、運が悪い。

 彼なりに、いろいろと変えようとしていたが、タイミングが悪かった。

・信長と宣教師の役割

 〜信長はヨーロッパの有用な情報を取りたかった。

 はっきりいって、キリストには興味ないが、布教活動を許可する代わりに情報。

 どうやって使えば有用なのか?

 人の利用・情報の収集&利用〜時代に愛されていた!

・時代を壊す人・創る人・保つ人は別。

 〜フランス革命でも、壊す役割の人はギロチンなど…。

 そういう覚悟でなくちゃ、できない。

↓マキ山さんによる設楽原合戦ムービーをどうぞ!



<参加者の感想>

・初参加でしたが、圧倒。あ”〜〜!!すごいおもしろい!

 豆知識が嬉しかった。

・信長だったので、人をたくさん殺しちゃった。

 謎だった比叡山の関係について知ることができてよかった。

 歴史を好きになったのは予備校の先生の影響だが、

 歴史の魅力は「人の感情が動かしている」ということ。

 また参加したい。

・勝頼だったが、歴史を動かす人の役割(〜壊す者)の話が印象的だった。

 では、勝頼の役割は?

 〜勝頼:運が悪い。運にさらされて、翻弄された。

  ただ、武田家を保ちたかった。父親のシステムを守りたかっただけでは?

  ずっと父親の手足になって働いてきて、うっかり武田を背負ってしまった。


・武田がすごい勢いから急降下したのがリアルだった。

 意外とこの時代は徳川家康は地味だった。

・猛然と走る特急列車に、横につかまったまま4時間走りぬけた感じ。

 かろうじて到着したが、エキサイティングだった!

 感情が歴史を動かす。歴史は繰り返す。

 「ここでちょっと…!」が人はできない。

・なぜ?義信がダメになった瞬間、ダメに。

 信玄、後継者のことまで考えているはず…だよね?

戦国〜100年先は分からない。今日生きることが全て。信玄でさえも、今日を生きていたのでは。

あるいは、450年続いた家だけに、

まさかこうもたやすく幕を下ろすことになるとは考えていなかった。

危機感がなかった。楽観的だった?危機感がなくなったときに、人滅びる。


・一番の課題は後継者だった。

 武田家は親子関係が良くない。信玄でさえも、裏切りを恐れて…例外ではなかった。

〜徳川家康の一番の資質は、命が長いこと。

さまざまな人の生き様を見て、自分の跡取りを確立した。

長生きすること、地を続けることが大切です! 

・息子も猜疑心があっただろうなぁ。

あえて、ちゃんとした後継者作りをしなかったのかも。

いつまでも自分が大御所で居たかった。=信用していない。

娘をあげる=信用していない。婚姻によって結び付けようとしていた。

・設楽原の戦い:圧死で死んでいる。城攻めと一緒。

初めて見る布陣図に対しての、武田騎馬軍団の忠告

〜ベテランの勘は信じろ!見たことがないのは不吉じゃ!

戦略は組織に従え=武田信玄

戦略に組織をあわせる=織田信長

信長〜崩すとき:最強のデザインを持ってくる。

目的:規定のものがあって、崩したいから。そのときだけ組織を作る。


・滅亡寸前に天田山…以前武田家が一度途絶えたときに、

 ここから再生したという言い伝えからゲン担ぎ?。

・信玄は、個の能力はすごかった。内部から崩して行くやり方…完全に一人の能力によるもの。

 システムじゃなく、一人に頼りきっていた。信玄自体がシステム。出来すぎるのも、問題。

・「壊す人・作る人は別。」平安をこわしたのは清盛、作ったのは頼朝。続けていたのは北条。

 同じようなことを繰り返している。

・信長すごいなぁ…。「火星から来てる?!」

〜49年の人生だが、その3倍くらいの資料がある。そうじゃないと語れない。濃すぎる!

信玄が攻めていたときにはシステムのほつれは多少防げていたが、勝頼が守りに入ったら…。
 
〜新しい情報・知識を取り入れることが大事。
・初参加で、ついていくのが必死だった。この時代、人間関係が今よりも大変かも…?!

 会社の人間関係も好き嫌い・上につく人で変わる。その辺は似ている。

・役割をきちんと把握して、役割どおりに生きることって大事なんだな、と思った。

・武田信玄は好きじゃなかったが、450年も続いていたとは驚きだった!

 いまだに奥平さんと松平さんはゆかりが深い。この辺の時代からの流れ?!

 同時代のヨーロッパを選択科目で学んでいたが、中央集権的だった。

 日本にはないと思っていたが、こんなところに関係性が見られるとは…!

〜王様がよくやっていると、周りの人は「俺達がやってるんだ」と満足できる。

 14世紀も“絶対”王政とは言えない。


 長篠の戦とヨーロッパの戦いのつながりに驚いた。

・散弾鉛がウソというのはショック!!

 石田光成が好きなので、関が原の戦いと重なった。勝頼に興味が湧いた。
   


10月歴史会 038

10月歴史会 039

11月は歴史の会ツアー♪@鎌倉滅亡〜室町吉野・金閣寺・銀閣寺・南禅寺ということで

次回歴史の会は、12月19日(土)@上杉謙信。

希望者はこちらに参加表明をお願いします!


第34回歴史の会は、上杉謙信!
みなさま、こんにちは〜!

梅でございます。

武田信玄→武田勝頼と進んできました歴史の会。

いよいよ次回は上杉謙信ですよ〜。


小田原城の前で矢の飛び交う中、酒盛りをしていたとか。

本当は女だった?!説があるとか。

毘沙門天がついていたとか。


いろいろ〜なうわさがありますが、

果たしてこの人、いったいどんな人だったのでしょう?


11月は歴史の会ツアーということで会自体はお休みし、

上杉謙信は12月19日に。

また、濃厚超特急なマキ山節でお会いしましょう!


■ 日にち : 2009年12月19日(土)

■ 時 間 : 13:00〜17:00

■ 場 所 : カフェミヤマ渋谷公園通り店

■ 料 金 : 2,000円


どんな豆知識が聞けるのか、いまから楽しみですね♪





待ってました!歴史の会ツアー@2009!
今年もやってきました!

歴史の会の学びを、元気で体感する

歴史の会ツアー!!


歴史ツアー 146

今年は「吉野・京都をじっくり探索しよう!」

・・・ということで。

せっかくなので、秋の紅葉を楽しみながら

歴史にタイムスリップしちゃおうJAあーりませんか

・・・そんな、ラブい歴史会「大人の修学旅行ツアー。」

宿泊先はなんと……!

利休の造ったお庭のある、こちら!!

http://www.chikurin.co.jp/宿泊代: 13500円(宿坊タイプ・二食付き)

今現在のメンバーは、

5名(マキ山・マキ山友・梅・プチ留さん・Dさん)

〜というバラエティ豊かな5名。


あと、女性一人と男性二人までなら参加可能です!

(キャンセルは1週間前まで★)


夜には、日中から散策し、宿泊する

この吉野の山の歴史について(壬申の乱、南北朝)
マキ山さんからDeepな講義がありますよん!


しかも…、このお宿、素敵な温泉付

歴史講義でヒートアップした頭を

しっとりと秋の夜に溶かしてくれる効果があるかもしれません。


11月21日(土) 

・9:30 京都駅集合

     奈良・吉野へ(自己紹介タイム、駅弁を食べる)

12:00 吉野古道散策

17:00 宿へ

     吉野・南北朝に関する歴史会<レクチャー>

11月22日(日)

・6:00 早朝散策(朝のお務めがあれば、参加。)

・9:30 吉野発、京都へ

・13:00 金閣寺 散策&ミニレクチャー

      銀閣寺 散策

      南禅寺 散策

・18:30 京都駅にて、各自解散。


〜という日程になっております。


ちなみに前回の歴史会ツアーの様子はこちらです!

http://rekishilove.blog100.fc2.com/blog-date-200810.html

ご希望の方は下に参加希望のコメント&アドレスを入力しくださいね〜。


たのしみたのしみ!







第33回 歴史の会〜信玄の負の遺産
こんにちは、梅です!

先月は武田信玄の濃い人生を堪能しました。

そして…栄光と伝説の後に残されたのは……。


信玄の負の遺産です。


息子:武田勝頼の葛藤、そして武田家の凋落から

今の世を生きる私たちへの教訓が山盛りに得られることでしょう。

Let's 歴史の会!


■日にち:2009年10月18日(日)

■時 間:13:00-17:00

■場 所:カフェミヤマ渋谷公園通り店

■定 員:16名

■予約名:ウメハナクラブ




参加者はコメント欄に参加表明をお願いいたします。

お友達の誘ってのご参加もWelcomeですよ〜

第32回 「風林火山」 報告!
先週の土曜日、第32回の歴史の会の報告をさせていただきます♪


「こ、今回こそは…ダメかと思いました!」

…といいながら登場したマキ山氏。

どうやらレジュメが16ページになってしまい、

ぎゅうぎゅうに押し込めて7ページに縮めたのだそうな。

それだけ伝えたいことが多かったのですね。



今回は、長かった足利将軍を終えて

いよいよ戦国将軍に突入!!


戦国将軍第一回目は、私も以前住んでいた山梨の

武田信玄です♪


9月歴史会 武田信玄 006

参加者からの予備知識ではこんな声も。

「信玄はマネンジメントの達人。そこから学びたい。」

「武田信玄は戦略家。上杉謙信は戦術家と聞いた。」

「地元(山梨)の武将。釜無川に信玄堤を作った人。政治もとても興味深い。」

「名言集〜人は生垣。人は城。」→本当にお城を持っていなかった。

「影武者が6人いたとか?!」

「女好きだったらしい。でもバイセクシャルだよね?」



私は今回、くじ引きで武田信玄をGET!

これはご縁がありますね〜。

「男も女も両方いけますから。」と高らかに言い放ちつつ…。

本編は始まりました。



私にとって武田信玄のイメージは88年の中井貴一だったのですが

(うちは父が歴史好きで、みんなで大河を見て育ったのですよ。)



↑こうして今見ると、なんとゴージャスな出演者!

最近のところで言うと、風林火山のイメージもありますよね。

ですが、じつは風林火山の元になっている甲陽軍鑑は

神化されたちょっと怪しい部分もあるそうで

その他さまざまな文献・新事実を統合した見解に基づいて

今回は進められました。



最初の登場人物(私の記録可能なところで)を紹介すると

・武田信玄:戦国大名中1・2位を争う人気者。父に疎まれていたが、追放して当主に。

 他国に積極的に戦に出かけ、ほとんど常勝。

 国の経営にも優れており、江戸時代にフィーバーして人気が上がった。

 家臣コレクター。(優れた家臣を多く集めていた。)


・武田信繁:出来がよく、父からも可愛がられていたが、

  父親追放の際には兄側につく。有能で、弟としてではなく、家臣として支える。


・今川義元:元はお坊さん。織田信長との桶狭間であまりイメージはよくないが、

  じつはとてもよく出来た人。武田とはいろいろな意味で縁があり、同盟を結んでいた。



・武田信虎:信玄の父。他国に攻め入っていくが、農民は重税で苦しめられていた。



9月歴史会 武田信玄 009

戦国の世らしく、信玄はあらゆるところに争いの種を見つけては

こっそりとささやき、土地を奪う。

我ながら胸がすくぐらい堂々と人の弱さに漬け込み領地を広げていくのですが

その傍らで、地元甲斐の国では

暴れ川で有名だった川に15年かけて信玄堤をつくっていたり。

お父さんのしなかった政治の面を自分の代では手を掛けて整備をしていくんですよね。

甲州法度次第を定めて、

武田家当主であっても理不尽な振る舞いがあれば誰からでも訴えられるような

公平なシステムを作ったり。

(喧嘩両成敗はここから始まっているのだそうな。)

富国強兵策として新田開発や金山経営をしていたり。

海無し県ですが、あるものの価値を見出して国を豊かにしていく

みんなのための政治が、人々の心をギュッとつかんだんですね。


なので、お城は無くても(信玄堤にかなりお金が掛かったので…という話もあります)

人を大切にすると、人が守ってくれる。

〜そういうことが「人は城」という言葉に凝縮されていたようです。

(山に囲まれているので誰も攻め入ってこないという側面もありますが。)


以下、マキ山名言集です★


9月歴史会 武田信玄 001

・武田:鎌倉〜室町〜戦国とシステムが入り混じっている。合議制だったとも言われている。

・信玄はつけこみ上手!高遠をそそのかし、諏訪を武田のものに。

 (その後は濃衣姫:夕姫の子を諏訪の領主にすれば問題ないと思っていた。)

 【武田信玄Style】

 親戚にささやく → 暗殺 → いい感じにぐちゃぐちゃになったところにつけこむ。

・勝つ見込みのある争いをしている。72戦中、引き分けも含めて勝率96%。

・甲州法度 分国法:領主も訴えていいんだよ!というのをみんなが知っているのは珍しい。

 「徳で人を治めるべきだ」

・○○崩れ:圧倒的敗北のこと。3敗とも、村上義清に。

・真田さんちは調略が得意。

・武田・北条・今川…今まではただ単に仲が悪いだけだったが、
 
 「敵の敵は味方」と連合を組んだことで情勢にも変化が起こる。

 娘交換ルートの成立。
 
 今川ー武田:政略結婚だったのに… 義元の死後、「チャンス!」と駿河侵攻。

 妻の実家である今川攻めに反対した長男は殺されてしまう。

・川中島の戦い:5回のうち4回はうーんうーんと睨み合っている。

 2ヶ月くらいで撤退する。

 4回目だけ…武田軍:啄木鳥戦法の失敗で信繁・山本勘助を失う。

         上杉軍:前半はよかったが、取った首を腰に下げていて

         重たくて後半は死ぬ人が多かった。

  →両方あわせて6,000人が死んだ。

・長尾影虎(上杉謙信):調略できない。そういうのは苦手らしい。でも神ががり。

 人にはそれぞれ上手く行く方法がある。

・取った国は自分で豊かにして、年貢を吸い上げなきゃ。

 「武田の国でよかった」と言わせなきゃ。戦いと同時進行が大事。

・織田信長:坊主と見れば、火をつける。 ※ 信玄も謙信も坊主。

・武田はのろしネットワーク (By 高坂)を持っていた。

・人を失って、土地を取った武田か。

 人は失わずに、土地を失った上杉か?!

・信玄の同盟は役に立たないと有名だった。

・三方が原の戦い:徳川家康の気質も計算のうちで、圧勝。
 
・移り変わりに敏感。手紙(行動)が早い→勝利の秘訣。

・これから織田信長(自分の国のことでてんてこまい。かなり弱っていた。)

 を制圧して…!というところで浅倉さんが兵を引いてしまった。

 もともと浅倉さんは従う気は無い。自分のところが守れればそれでいい。

・あと一歩…ではあったが、戦国時代の終わりに、終わるべくして終わったのかも。

 信長は新人類。戦国の戦法は今後、役に立たなくなってゆく。

 →息子への負の遺産へ続く。

・小田原城:信玄・謙信の両方に攻められた城。



う〜んこうして追っていても、ドラマチックな人生が浮かび上がってきますね。

すべては語りきれません。ドラマが多すぎて。

(いつかやる・・・かもしれない歴史の会リピートにて聴いてみてください。)



それにしても、本当に好きな人は好きなんですよね。

マキ山さん、レジュメ作成をしながらいろいろ調べていたら

こんな動画を見つけてしまったそうな。

(24将を入れようと努力をしていたり。 胡姫萌え〜!とか入っている。)



愛を感じますね。

あと、川中島の戦いは長野市の作っているこちら

大変分かりやすく紹介してくれています。


一同、講義を聞きながらI PhoneやPCで検索をして

「おお〜!」と感激していました。ハイテク歴史の会!



【参加者の感想】

・実際に妻女山に行ってみたが、甲陽軍鑑はありえない。

 上杉軍の気配に絶対気付くよ!

 首を取ると腰につけていくので、最初は勝っていた上杉も

 後半は首が重くなって負けてきたんだよね。

 〜川中島:存在自体が謎。霧が深いのは事実だが、いろいろミステリー。
 
・信玄は最後に死んだからヒーローなのでは?

 もしも京都へ行っていたらどうなっていただろうか。

 甲斐からほぼ出ていない人が。〜京都から見たら、田舎者?

 〜信長は新人類。京都へ行っていたとしても…。

・いうことを聞かない部下たちを育てるのが上手だったので、個人的には好き。

・あまり知らなかった、こんなにも天下統一に近いところまで行っていたとは!

 それにしても、土地を取ることには一生懸命だが、信念がない。

 〜信念はない。根っからの戦国武将。京都も一つの土地だったのでは?

・息子の勝頼はその後、家臣との確執に苦しむようになる。

 金山の凋落と共に…。

 〜土地は増えたが、その分、財政を支えきれなくなる。

  もう少し時間がないと、120万石の年貢は徴収できない。

  もう少し長いスパンで…?!そんなことは時代は許してくれない。


・他の人の人生を通して、別の視点でこの時代を見てみたい。

 どう見えるのだろう?

 表面と内情の絡み合いが見たい。

・大将が一人死ぬと、今川も北条も武田もズタズタに…?!

 〜もう戦国時代が終わってしまうことの表れ。

  大きな無視できない流れが起こっているということ。

  お父さんの業績を期待されているけど、そんな時代じゃない。

  周りはそれを分かってくれない。

 〜戦国武将の寿命は50年あまり。生物としての寿命。

  このまま生きていても、時代にとっての重要なピースじゃない。


・上杉さん、新潟から小田原まで助けに来てくれるなんて…ロマンだね。

・武田信玄、山にこもってあるもので質素に生活しながら

 富を増やすという発想が、日本人好み。

 その気質が三河武士〜江戸時代の人気に火をつけたのでは?

・今川も、武田も下の武将を育てるのを怠っていた。今のことしか考えていなかった?

 〜天下を取る:自分の生きている時代にどれだけのことができるか?!

  …それが土地の疲弊を巻き起こす。

  土地からお金を作る発想=有限(武田)と、貿易でお金を作る発想=無限(織田)。

  海を見ていない人には天下は取れない。


・上杉は本能的。もっとドロドロした面が見てみたかった。

・信玄が勝頼を作った。縦のシステムがある。

 それと共に、信玄が家康(自分の息子たちに当てはめ、繁栄)を作った

 横のシステムも存在する。

 〜家康にとって財産は、いろんな人のシステムを見て参考にして年を取れたこと。

  長篠の合戦後、関係者など役立てるものを殺さずに天領に保護。

 →全てのシステムを生かそうとした。

  それによって、保護された人の中には恩返しの気持ちが生まれ、

  天領から幕末には近藤勇が現れる。


・信玄役をやったが、主役で大きなことをしているにもかかわらず、

 自分としてはどーんと動いていない感覚がある。

 「動かざること山の如し」は戦い方だけではなく

 信玄のあり方をも指していたのかも?
 
 〜信玄はシステムとして一代で完結している。完成度が高い。

  こんなにすごいといわれている人ほど、意外と資料が少ない。

  もうちょっと詳しく知りたかった…調略の内容とか。。

  その分、武将たちが信玄の人気を支えているようにも感じる。
 

9月歴史会 武田信玄 002

そして締めはマキ山動画で!



次回の歴史の会は、9月18日(日)13:00-17:00カフェミヤマ渋谷公園通り店にて。

参加希望の方は、こちらのコメント欄

一言&お名前を書き入れて参加表明をしてくださいね。



歴史を知ることは、その時代を生きた人から システムを学ぶこと。

ものの見方や捉え方が変わります。

なにより、楽しく学べるのが一番!

ご参加、お待ちしております♪



Copyright © 2005 ●ラヴい歴史の会●. all rights reserved.